空手

終わったことなんて気にならない、こんな人が羨ましい。実際、僕の友人にそういうタイプの、野武士みたいな奴がいる。けれどもまた、終わったことを気にして気にして、そこからいろいろ連想して、これからはこういう風にしようと決意し、ハードルを越えた自分が19年というわずかな自分史に数限りなくいるのも事実なのだ。けれどもやっぱりあれこれ考える時の精神状態とやらは、文字にしたくない。

 

「えぇ!?そんなことで悩んでるの?」みたいな返しをされることが多い僕のこれは、基本的に終わってみると「考えすぎ」というもので解決するのが多いので、そういう風に言われることを見据えてるし、悩んでる自分が嫌いだから基本的に僕は人に悩みを言わない。悩み、ていうか、弱さかな。泣いてる顔とか死んでも見られたくない。そういえば僕は幼稚園から高1まで、空手を続けていたんだが、始めた理由には「弱さを見せないため」というのがある。

 

僕の父親…まぁ、小2の時離婚したのだが、厳しいていうか、「お父さんに言うよ!」ってなったら「それは勘弁」ってなるくらいになんというか、怖かった。暴力的な怖さがあった。ちゃぶ台こそ一回もひっくり返してないが、星一徹みたいな父親だった。そういえば星一徹は実は作中では一回しかちゃぶ台をひっくり返していないそうだが。

 

幼稚園の時友達が買ってもらったゲームが羨ましく、そのゲームの話を聞いてると欲しくて欲しくて仕方なかった。そこで、幼稚園が終わり、迎えに来てくれた父親に「僕も欲しい」と言ったら「ダメだ」とあっさり返されてしまった。なかなか引き下がらない僕に父親は、大勢の親御さん、同級生、先生達の前で僕をぶん殴った。ものすごく鼻がツンとしたのを覚えている。幼稚園の年齢で大の大人に殴られて泣かない奴なんていないだろう。泣かない奴がいたらそれはもう大事な何かを失っている。痛いのと、周りに見られている恥ずかしさ、いろんな要素が僕をワンワン泣かせた。あと鼻血の量にも驚いて泣いてたと思う。全員が唖然としている中、父親は僕を無理やり連れて園から出た。近くの公園に水道が通っていたから、そこで応急処置的なことをされた。何分かして僕が冷静になると父親は「弱いところを見られるのを嫌やろ。弱いところを見られないためにお父さんは空手をやる。」と言った。後日園に行くとワンワン泣いた奴と茶化された。悔しくて、園から帰り、1人部屋でいろいろ考え、晩飯の時に父親に空手をやると告げた。こんなエピソードが空手を始めた理由で、それ以来、人前で泣いたことは無いと思う。一対一で怒鳴られても泣かないくらいには空手を通して強くなった。悲しいのは僕の空手の腕前が一向に上がらなかったことなのは言うまでもないのだが。

 

弱いところ、悩んでるところとか見られたくないのには僕が末っ子というのもあると思う。僕は年が離れた姉2人と兄が1人いる。兄だけでも5歳離れている。大人びていく年上をみて、そういう風に自分の弱さとかを見せることの抵抗、背伸びも要因だと思う。

 

三島由紀夫の『不道徳教育講座』に“やたらと人に弱みをさらけ出す人間のことを、私は躊躇なく「無礼者」と呼びます”というのがあったが、これを知った中学の時、ものすごく共感できたのを覚えている。

 

まぁでも空手をやってもウネウネ考える癖はなおってないし、むしろ加速した。ただ、それを人に見せるのはやめよう、と誓っただけだ。果たして空手をやったことにどれだけの意味があったのか。小学校の卒業アルバムで何でもランキング、というページがあり「強そうな人ランキング」1位に選ばれたことぐらいだろうか。まぁ別に今となっては身長こそ周りよりは断然高いが、別に喧嘩なんて強そうに見えないし、実際弱い、ただのそこらにいる文学青年なのだが。