WOWOWドキュメンタリー 『格闘ゲームに生きる』

良かった。ただ、良かった。もうこの4文字で終えても僕の感想を語り尽くしたといっても別に問題は無いかもしれない。けれどもそれではいかんせん寂しいし、折角こんなブログも開設したんだし、ちょっと真面目にいろいろ書いてみる。

 

まず、このドキュメンタリーのあらすじを書くなら、基本的にはプロゲーマーを追うドキュメンタリーだ。国際協力プロジェクトの名の通り、世界各国のプロゲーマーを追っている。そこにはe-Sportsの世界的な支持、人気がある中、それでもプロゲーマーとしての社会的認識に葛藤する彼らが描かれている。

 

僕がこれを見るまでやはり気になっていたのは「プロゲーマー」という職に彼らは何を思うのか、ということだった。昨今のゲーム人気やアニメ人気は言うまでもない。ただ、これらの文化が、例えば幅広い年齢に支持されているのかはこの国では少なからず怪しいだろう。僕はこのドキュメンタリーは「遅れている日本」を演出するのかと思っていた。それは何かと言うと、「世界はこれらの文化を認め、それらで食っていく人間を認めている」ということを日本に伝えるために作成されたのかと思っていたからだ。現に例えばラスベガスの大会賞金額を見ても海外はスケールがデカい。このスケールから想像するともっと理解が進んでいるのかと思っていたからだ。

 

だが、世界でも、現実はどうやら厳しいようだった。作中でフランスのプロゲーマー「ルフィ」はこう語った。「親が誰かに息子さんは何をやっているの、と聞かれた時にプロゲーマーと答えるより広告会社に勤めていると返せる方が良い」と。このコメントに込められた意味はもちろん、プロゲーマーという職業に対しての世間の冷たい目線、ということだ。他にも両立する理由にはプロゲーマーとして、大会で賞金を得ていくことの難しさも挙げた。

 

そして梅原大吾。日本人で、例えば格闘ゲームに、特にストリートファイターに触れたことがあるならば知らな人はいないのではないのかと思う人物。彼はポリシーとして、「何か一つ、誰にも負けたくないものが欲しい」というのがあるらしい。それが彼は格闘ゲームだった。誰にも負けない分野を持つ。例えばそれはスポーツだったり音楽だったり勉学だったり、挙げればキリは無いが、そこにゲームがあることに違和感を感じる人、いない人の割合はどうだろうか。少なからず僕は、例えばそれが本当に誰にも負けない武器であるならば、それは誇り高いものだとは思うが、それが「ゲーム」となると少し考えてしまう。そんな梅原大吾自身「いつまでこんなことやってるのかなと思う」と言った。「こんなこと」という投げやりな言い方に僕は反応した。「こんなこと」。

 

彼らのやっている一つの道を極めることも、その極める内容も、もちろん僕は口出しできない。職業ってなんなんだ?極めるってなんなんだ?そんな疑問が見終わった後にグルグル駆け巡り、それはまだ僕が大学生で「職業」というものを他人から聞くか、たかがアルバイトくらいなどでしか見ることのできない僕にとってはなかなか見えてこないものがあった。極めることにもそうだ。僕の飽きっぽい性格は習い事と絡めて考えるなら、あの時あっさりやめてしまったもの、そういった人間性の僕が何かについてとやかく批判することの矛盾性もこのドキュメンタリーで気づかされた。

 

彼らは今も尚、悩んでいることだろう。一つの事を極めた人間の苦悩、見てる光景。世間体というものを考えた時にこれらの職業が誇れるものなのか。誇れる誇れない、を置いといてもこの道で食っていく厳しさ。世間体が彼らを葛藤させているだろう。

 

昨今、配信主をテレビで見ることも少なくない。世間で彼らがどう思われているか、それは置いておいて、彼らが若年層に絶大な支持を得ているのは事実で、広告で稼ぐその金額は、計り知れないものがある。プロゲーマーもまた、稼ぐ人間はものすごく稼いでいる。仮に職業として認められる要素に収入が必要ならば彼らはクリアしている。だが、それだけでは解決しないだろう。「歴史」もあるだろう。日本人は特にそうなのではないだろうか?いや、日本以外にもさっき述べたように世界各国でもまだ評価は怪しい。それはいかにその世界が我々一般の人間に馴染んでいるか、馴染んでいないかの問題だと思う。苦労しないとならない、これが職業として認められるものだと、理解している人間にとってゲームで稼いでる人間は楽にしか見えない。それがたとえ血のにじむような努力があると言われても、やはりなかなか通じないだろう。人間性もあるだろう。プロゲーマーなんて考える人間は現代社会から漏れ落ちた奴で、引きこもっていた人間の苦肉の策のようなもんだ、というような、こんな偏った考えもまだまだあるだろう。また具体的になにがどういう世界で何をしたらプロゲーマーなの?ライセンスは?というのもあることだろう。僕もそうだったし。

 

正式な機関が必要だろう。わちゃわちゃ少人数で楽しんでいたが、やがて規模は大きくなり、大きくなるにつれ、ルールを決めいった競技の歴史なんて沢山ある。今はインターネットが発達しているが故に少人数でワイワイしている段階でもう既に取り上げられてしまい、とやかく言われていると思う。テンポが早すぎたのかもしれないな、と。

 

僕はストリートファイターが好きだし、それを極めた人間のプレイには憧れる。いわば、ヒーローだ。そんなヒーローが社会の隅に追いやられている。不憫だ。けれども僕はそんなヒーローを心の底からは認めることが、まだ、できない。いつか、彼らも僕もまた、お互いにリスペクトし合える日は来るんだろうか。

 

色々グチャグチャ書いた。何を言いたいのかまとめきれてない。とりあえずは僕がこのドキュメンタリーを見て感じたことは書いたつもりだ。読みにくいけどね。読みにくいって、あまりにも致命的すぎる。死にたい。