時間

朝起きるとそれはそれはもうどしゃ降りで、どうやって駅まで行こうか悩みながらとりあえずはコーヒーを淹れる。コーヒーは良い。単純に美味いし、目を覚ましてくる。寒い冬、まさにエースで4番。カフェインは覚醒効果以外に脂肪の燃焼を促進し、エネルギー代謝を活性化してくれる。善玉コレステロールが増えることも研究で分かっているらしい。すごいよなコーヒー。ありがとうなコーヒー。藤岡ひろしが昔こんなこと言ってたらしい。まぁ僕はそれ自体は知らなく、それをサンドイッチマンがネタでやっているのを見ただけなんだが。

 

バスやらなんやら色々考えたが最近歩行機能を使っていないことを、健康面には良くないだろうと考え徒歩で駅まで向かった。どんなに僕が水たまりを避けても、どんなに僕が滑りやすそうなマンホールを避けても、足下は濡れていく。信号待ち、自分の足下を眺めると白地のスニーカーの汚れを雨が洗い流していた。けどこれ、全部埃なんだよなぁ、と思いながらなんとも言えない気持ちに包まれ、雨雲が僕の心模様を見事に模写してくれている。

 

やがて駅に着き、駅に来たんだから、電車に乗る。自分の意思で乗ってるはずなにのに、何かこう、他人任せのような、連れて行かれているような感覚に陥りながら、目的地、大学に向かう。

 

大学に着き、講義を受けて、昼飯を食い、また講義を受けて帰る。そういう予定だ。人と交わる予定もない。今日はそういう日だ。帰ってやりかけのレポートをやらんといけない。果たしてやる気は出るのか。なぁやる気よ。いつも、なんで俺からお前に行かないとダメなんだ。お前から俺に来いよ。

 

2018/01/17は僕の人生の中で一切記憶に残らないだろう。隣で談笑している学生、課題に勤しむ学生、ブログを綴る学生。またこうして無駄にしていく。無為に過ぎていく時間を、悲しむだけなら小学校のころにだってしていだろう、僕。なにも産まないこの時間。こうなったら何か大学で騒いでトラブルでも起こして地元紙の3面記事に載るようなことをしてやろうか。したら僕の2018/01/17は救われるだろうか。途方もない。なんたってこんな気持ちになるんだ。もう辞めた。考えるのは辞めだ。思考停止は寝ることの次に楽なんだ。

冬/京都

骨の髄まで、京都の底冷えした寒さがしみてくる。自分の住んでる地域との温度差になんだか今年初の風邪の予感がする。火曜日から再びスタートした大学。月曜は成人式ということで休みで、毎年僕が密かに楽しみにしてる動画「暴れる新成人!2018年版」が更新され、いつものように「こんな感じでも生きていけるんだ」と彼らに勇気を貰ったのもつかの間、必修科目が1限に設定されることの多い一回生の僕は「真冬の1限地獄」の洗礼を浴びせられることに。自分のカルマはいったいどうしてしまったのだろうか。ブッダの経験した苦行なんかより僕の方がはるかにしんどいはずだ。

 

学校が始まったとはいえ、春休みはもう間近である。大学生といえば春休みの代名詞、僕はこれが非常に楽しみだ。とにかく期間が長い。これだけでもうやっていける。暖かくなれば前回のブログで書いたようにツーリングができる。行きたいところはまず伊勢神宮。なんで伊勢神宮なのか、実は僕は神社仏閣巡りにはまってる。大学の空きコマにはどこかの神社やら寺に行っている。別に写真を撮るわけだったり、朱印帳、周辺のグルメとかが目当てではない。基本1人で別になにもしない。なんなら参拝もしない。ただなんだか日本の宗教事情にやたら気になってきて、その神社とか寺の歴史とかそんなのばかり見ては「ほへー」となっている。末木文美士の『日本仏教史』を読んでその分野に興味を持てた。新鮮だし、僕はあまりにも知らなかったんだと痛感する。末木文美士氏曰く、日常にそういった慣習があまりにも強く関わってしまったのがいい意味でも悪い意味でも理解が追いつかなかった、とされていたが本当にそうだと実感する。伊勢神宮に行きたいと思ったのはなんというか、日本人としてここに行ってないのはどうなんだろう?とか遂にそんなことまで思い始めたからである。いったいどうした僕。なにをこじらせた?自意識か?サブカルか?両方だな、多分。まぁ、とりあえずCBR250RRで行きたい。最長記録を作りたい、ってのもないわけではないが。

 

金曜日をいよいよ迎え、2日の休みを経てまた早朝1限地獄と闘うことになる。帰って寝よう、そんな風に考えながら駅へ向かう。駅のコンビニにバイト募集と書いてあるのを見て日曜面接があるのを思い出す。4年近く続けたバイト先に別れを告げ、僕は新しいバイト先を見つけた。ホームセンターの倉庫管理らしく、接客がそんなに好きじゃない僕にはもってこいであり、しかもやたら時給がいい。4年も続けた分、辞めると告げた時には「7年やってくれると思ってた」と店長に笑いながら言われた。たかが、1人のアルバイトが辞めるだけなのに事務所の人や他の部署の人から色々言葉をもらったりした。嬉しかった。

 

電車にはもう高校生がいっぱいだった。センター試験の話をしていた。そうかそんな時期か、と他人越しから時の流れを感じる。もう一年も経ったんだな、と思う。センター試験の思い出、僕の前に座っていた子を忘れない。問題が配布され試験官が「はじめ」と告げた刹那、問題用紙に向かって関節を鳴らしはじめたのだ。問題に威圧していたのだ。それだけでもかなり面白いのだが、ちゃんとオチがある。問題を半分くらい解き終えてふと、その子を見るとすごい体勢で頭をかかえていた。「あかんやんけ!」っておもわずツッコミそうになった。センター試験、現役浪人共に頑張ってください。

 

CBR250RR

12月頭頃にCBR250RRを買った。秋に車の免許を取り終えた後、普通自動二輪の免許を取りに行った。車の免許を取っても家の車は自由がきかないし、自分で所有するのはあまりにも高額だ。保険とかも。だから、車と比べると維持費の安いバイクに目を向けた。僕の、巷ではアフリカゾウより重いとされている腰も改善されるかもしれないし。取りに行って思ったのは思いのほかスムーズだったことだ。筆記が免除されている分、技能のみだから集中できたのかもしれない。もっとどんくさいことになると想像してただけにそこは良かった。別段褒められることもなかったが、怒られることもなかった。そんなことで普通自動二輪免許を取得し、11月の末にバイク屋巡りをした。当初僕は何のバイクに乗ろうかとか、予算とかを随分アバウトに考えていて、いざ現物を前にするとどれにしようか、いや、どれにすればいいのか分からなかった。メカに関してはなんの知識もないし、予算のことも「まぁバイクならこんなもんだろ」程度に考えていたら思いのほか高かった。びっくりした。なんだか中古を選ぶのは怖かったので新車を片っ端から見ていたのだが、中古も考えないといけないなと思っていた。店員に聞いても専門用語が分からない。バイク乗りが周りにいないので知識がない。某バイク屋チャンネルの動画を見たりしたが、その人が自分の中学の担任と似ていたこと以外収穫は無かった。自分の計画性の無さに、逆に関心した。よく免許取れたな、ほんと。

 

そんなことでどれにすればいいのか悩んでいた。そして行き着いたの地元のそんなに大きくないバイク屋。聞けばなんか昔レース関係者だったらしく、知る人ぞ知る、みたいな店らしい。20年近く住んでたけど、一切知らなかった。そこの店の横にあるチェリオの自販機の方が僕らの間では知名度あると思う。そこに入って店長に一切知識がないんだ、と伝えると素人にも分かりやすく教えてもらった。なんとなくのことはわかり、そして今の自分には新車の方がいいことを理解した。店長に「背が高いからオフロードが似合うかもね」と言われてオフロードバイクを見たのだが、オフロードなんて走りたくないし何よりも見た目が嫌だった。カワサキのオフロードを見せてもらったのだが、申し訳ないがバッタにしか見えない。僕個人としてはぼんやりとホーネットというバイクがかっこいいと思っていたのだが、なんでもタイヤがめんどくさいらしい。あとパーツも手に入るか怪しいらしい。そして何よりもホーネット乗りはよく転けるというのを聞かされて完全にビビってしまい、辞めた。どうしたらいいのか途方にくれていたらCBR250RRのカタログを見つけた。カタログを眺めていると店長が「案外いいかもね」と言う。かっこいい。確かにかっこいい。こんなスポーツタイプが中型にあったのかと驚いた。そして何よりも驚いたのは値段。80万。意味不明。異文化コミュニケーション。値は確かに高いが、評価は高いと店長は言う。うーん、でも80万。自分の予算を遥かに超えてる。けどかっこいい。店にこのバイクはどうやらないようで、在庫のある店を教えてくれた。県内だが結構遠かった。

 

ホンダドリーム、こんな店あるんだと初めて知った。正規ショップらしく、店は綺麗で、関西弁をまくしたてる店長みたいは人はいなかった。現物を見るとやっぱり欲しくなった。グレーが特にかっこよかった。欲しい。こんなのに乗ってる自分が少し想像できないが、多分こんな僕でもこのバイクがかっこよくしてくれるだろう。

 

見積もりを貰い、親に報告する。バイクの知識がない親でも流石にこのバイクの値幅が高いのは分かったらしく、反対された。だが自分は粘った。実を言うと預金口座全て吸い出せば買えないものではなかった。高校3年間バイトをしてたわけだが、そんなに金を使っていないのでかなり残っていた。学費も定期代も携帯代金も別に払ってるわけではないし、車の教習所は親が負担する条件で行ったので、それなりに余裕があった。ただ、全て吸い出せばほんとにスッカラカンになるのでそれを避けたかった。粘った結果「親ローン」という恐らく現存するローンで最高のローンを組めた。無利子、延滞可、なんならチャラにすることも不可能ではない。そうして僕は一括でCBR250RRを手にした。

 

店から家までの距離は遠くもなければ近くもない。車だと20分から30分ほど。店から乗って帰るのだが、跨った瞬間めちゃくちゃ怖くなった。ていうかポジションがよく分からない。初公道ではないが、とんでもなく怖かった。そして更に怖い体験をする。メチャ速い。意味が分からない。怖い。速い。てか、寒。めちゃくちゃスロー走行だった。キープオンレフトの極みみたいな走行ライン。途中ズーマーに抜かれた。つらい。なんとか家に着いて、改めてCBR250RRを見る。感想はやばい。語彙力を消しとばす程にかっこよかった。僕だけのバイク。

 

あれから1カ月、僕の地元は基本的にバイク文化がないのか、せいぜい原付2種を見るくらいなのだ。だから僕があんなバイクに乗ってるのは一気に広まった。ヤンキーになったと広まったようだ。ヤンキー。最近自分の住んでいる地域は本当に2018年なのか、気になる。けれども近所の小学生が自分のバイクを見てかっこいい、と言ってくれたりするのはやっぱり嬉しい。ただしかし、親に「やかましいから家付近になったらエンジン切ってこい」と言われた。今でもそれは守ってる。押して歩いてるのはちょっと格好が悪いけど、昔僕の向かいの家の長男さんがやかましい車に乗っていた時、近所につけられたあだ名が「屁こき虫」だったので反面教師にさせてもらっている。早く暖かくなってほしいと切実に思う。そしたらもっといろんな所にCBR250RRが連れてくれるだろう。それにしてもCBR250RRの文字の並び、完璧だな。。。

空白の時間

バイトまでの待ち時間ってのはなんともいえない時間の流れ方をする。なんだか一向に時計の針が刻んでいる感じがしないし、何よりも、2時間も暇を持て余すことになってしまった自分のスケジュールの立て方の下手さ加減ったらありゃしない。

 

僕はこの2時間を可能な限り有効に使おうと思い、半ば無理やりに用事を作った。まずは、マフラーを買おう。このまえまで朝はかなり冷え込むものの、昼は秋らしい気温だったのだが、そんな悠長なことを言っていると風邪の予感がするほどに最近寒い。別に今日じゃなくてもよかったのだがとりあえずUNIQLOに行った。UNIQLOなら確実にあることが予想できたからだ。

 

UNIQLOに行くと僕が9月に買ったブルゾンがすごく安くなっていてなんともいえない気持ちに入っていきなりなった。それは置いといてマフラーを探そうとキョロキョロしている。見つからない。おかしいなと思いながらフロアをグルグル歩いていると、まったくUNIQLOの店員はよく教育されている。「何かお探しですか?」と。僕が店員に聞くかぁ、と思ってわずか6秒くらいだった。マフラーを探していると言うと、売り場まで案内してくれた。入り口付近にあった。灯台下暗し。礼を言って柄を決める。去年、高校時代まではブラックを使っていた。これからは私服だし、チェック柄にした。割と満足した。

 

次は残高照会。あまりにもすぐ終わった。無理やり作った用事はあっけなくすべて終わった。30分しか経ってない。どうしたものかと思い、本屋に寄ろうかと思ったが昨日行ったばっかだし、ていうか金使いたくないし。フードコートで座ろうと思ったが高校生だらけの光景を見てやめた。あーんどうしたものか。全く時間が過ぎない。イヤホンからはJamiroquaiのVirtual Insanity が流れる。Waoh - it's so insane、まさしくその通りだ。

 

ウロウロしていると文化祭作品展と書かれたコーナーがあった。近所の中学生の描いた絵で入選したものが飾られている。「想」というタイトルの絵は抽象画らしく、どっから見たらいいのかわからなかった。ていうか頭が働かない。この絵を褒めているおばぁちゃんたち2人が横に。「アイデンティティがすごい」そうだ。もう一度見る。わからない。こんな作品展があるのを知っているのはこの3人だけだろう。イエスキリストも知らないだろう。ムハンマドブッダも。

 

外に出ると風が強かった。落ち葉があちこちに出張していく。その出張先にミスタードーナツがあった。そうどオールドファッションを食べよう。あの「ヌモっ」とした歯ごたえと、水分を一気に奪っていく愛すべきミスタードーナツのオールドファッション。ヌモっとそのままどこかに埋もれて、水分もろともやる気も奪ってくれ。僕はバイトがたるいんだ、ミスタードーナツ

 

空手

終わったことなんて気にならない、こんな人が羨ましい。実際、僕の友人にそういうタイプの、野武士みたいな奴がいる。けれどもまた、終わったことを気にして気にして、そこからいろいろ連想して、これからはこういう風にしようと決意し、ハードルを越えた自分が19年というわずかな自分史に数限りなくいるのも事実なのだ。けれどもやっぱりあれこれ考える時の精神状態とやらは、文字にしたくない。

 

「えぇ!?そんなことで悩んでるの?」みたいな返しをされることが多い僕のこれは、基本的に終わってみると「考えすぎ」というもので解決するのが多いので、そういう風に言われることを見据えてるし、悩んでる自分が嫌いだから基本的に僕は人に悩みを言わない。悩み、ていうか、弱さかな。泣いてる顔とか死んでも見られたくない。そういえば僕は幼稚園から高1まで、空手を続けていたんだが、始めた理由には「弱さを見せないため」というのがある。

 

僕の父親…まぁ、小2の時離婚したのだが、厳しいていうか、「お父さんに言うよ!」ってなったら「それは勘弁」ってなるくらいになんというか、怖かった。暴力的な怖さがあった。ちゃぶ台こそ一回もひっくり返してないが、星一徹みたいな父親だった。そういえば星一徹は実は作中では一回しかちゃぶ台をひっくり返していないそうだが。

 

幼稚園の時友達が買ってもらったゲームが羨ましく、そのゲームの話を聞いてると欲しくて欲しくて仕方なかった。そこで、幼稚園が終わり、迎えに来てくれた父親に「僕も欲しい」と言ったら「ダメだ」とあっさり返されてしまった。なかなか引き下がらない僕に父親は、大勢の親御さん、同級生、先生達の前で僕をぶん殴った。ものすごく鼻がツンとしたのを覚えている。幼稚園の年齢で大の大人に殴られて泣かない奴なんていないだろう。泣かない奴がいたらそれはもう大事な何かを失っている。痛いのと、周りに見られている恥ずかしさ、いろんな要素が僕をワンワン泣かせた。あと鼻血の量にも驚いて泣いてたと思う。全員が唖然としている中、父親は僕を無理やり連れて園から出た。近くの公園に水道が通っていたから、そこで応急処置的なことをされた。何分かして僕が冷静になると父親は「弱いところを見られるのを嫌やろ。弱いところを見られないためにお父さんは空手をやる。」と言った。後日園に行くとワンワン泣いた奴と茶化された。悔しくて、園から帰り、1人部屋でいろいろ考え、晩飯の時に父親に空手をやると告げた。こんなエピソードが空手を始めた理由で、それ以来、人前で泣いたことは無いと思う。一対一で怒鳴られても泣かないくらいには空手を通して強くなった。悲しいのは僕の空手の腕前が一向に上がらなかったことなのは言うまでもないのだが。

 

弱いところ、悩んでるところとか見られたくないのには僕が末っ子というのもあると思う。僕は年が離れた姉2人と兄が1人いる。兄だけでも5歳離れている。大人びていく年上をみて、そういう風に自分の弱さとかを見せることの抵抗、背伸びも要因だと思う。

 

三島由紀夫の『不道徳教育講座』に“やたらと人に弱みをさらけ出す人間のことを、私は躊躇なく「無礼者」と呼びます”というのがあったが、これを知った中学の時、ものすごく共感できたのを覚えている。

 

まぁでも空手をやってもウネウネ考える癖はなおってないし、むしろ加速した。ただ、それを人に見せるのはやめよう、と誓っただけだ。果たして空手をやったことにどれだけの意味があったのか。小学校の卒業アルバムで何でもランキング、というページがあり「強そうな人ランキング」1位に選ばれたことぐらいだろうか。まぁ別に今となっては身長こそ周りよりは断然高いが、別に喧嘩なんて強そうに見えないし、実際弱い、ただのそこらにいる文学青年なのだが。

WOWOWドキュメンタリー 『格闘ゲームに生きる』

良かった。ただ、良かった。もうこの4文字で終えても僕の感想を語り尽くしたといっても別に問題は無いかもしれない。けれどもそれではいかんせん寂しいし、折角こんなブログも開設したんだし、ちょっと真面目にいろいろ書いてみる。

 

まず、このドキュメンタリーのあらすじを書くなら、基本的にはプロゲーマーを追うドキュメンタリーだ。国際協力プロジェクトの名の通り、世界各国のプロゲーマーを追っている。そこにはe-Sportsの世界的な支持、人気がある中、それでもプロゲーマーとしての社会的認識に葛藤する彼らが描かれている。

 

僕がこれを見るまでやはり気になっていたのは「プロゲーマー」という職に彼らは何を思うのか、ということだった。昨今のゲーム人気やアニメ人気は言うまでもない。ただ、これらの文化が、例えば幅広い年齢に支持されているのかはこの国では少なからず怪しいだろう。僕はこのドキュメンタリーは「遅れている日本」を演出するのかと思っていた。それは何かと言うと、「世界はこれらの文化を認め、それらで食っていく人間を認めている」ということを日本に伝えるために作成されたのかと思っていたからだ。現に例えばラスベガスの大会賞金額を見ても海外はスケールがデカい。このスケールから想像するともっと理解が進んでいるのかと思っていたからだ。

 

だが、世界でも、現実はどうやら厳しいようだった。作中でフランスのプロゲーマー「ルフィ」はこう語った。「親が誰かに息子さんは何をやっているの、と聞かれた時にプロゲーマーと答えるより広告会社に勤めていると返せる方が良い」と。このコメントに込められた意味はもちろん、プロゲーマーという職業に対しての世間の冷たい目線、ということだ。他にも両立する理由にはプロゲーマーとして、大会で賞金を得ていくことの難しさも挙げた。

 

そして梅原大吾。日本人で、例えば格闘ゲームに、特にストリートファイターに触れたことがあるならば知らな人はいないのではないのかと思う人物。彼はポリシーとして、「何か一つ、誰にも負けたくないものが欲しい」というのがあるらしい。それが彼は格闘ゲームだった。誰にも負けない分野を持つ。例えばそれはスポーツだったり音楽だったり勉学だったり、挙げればキリは無いが、そこにゲームがあることに違和感を感じる人、いない人の割合はどうだろうか。少なからず僕は、例えばそれが本当に誰にも負けない武器であるならば、それは誇り高いものだとは思うが、それが「ゲーム」となると少し考えてしまう。そんな梅原大吾自身「いつまでこんなことやってるのかなと思う」と言った。「こんなこと」という投げやりな言い方に僕は反応した。「こんなこと」。

 

彼らのやっている一つの道を極めることも、その極める内容も、もちろん僕は口出しできない。職業ってなんなんだ?極めるってなんなんだ?そんな疑問が見終わった後にグルグル駆け巡り、それはまだ僕が大学生で「職業」というものを他人から聞くか、たかがアルバイトくらいなどでしか見ることのできない僕にとってはなかなか見えてこないものがあった。極めることにもそうだ。僕の飽きっぽい性格は習い事と絡めて考えるなら、あの時あっさりやめてしまったもの、そういった人間性の僕が何かについてとやかく批判することの矛盾性もこのドキュメンタリーで気づかされた。

 

彼らは今も尚、悩んでいることだろう。一つの事を極めた人間の苦悩、見てる光景。世間体というものを考えた時にこれらの職業が誇れるものなのか。誇れる誇れない、を置いといてもこの道で食っていく厳しさ。世間体が彼らを葛藤させているだろう。

 

昨今、配信主をテレビで見ることも少なくない。世間で彼らがどう思われているか、それは置いておいて、彼らが若年層に絶大な支持を得ているのは事実で、広告で稼ぐその金額は、計り知れないものがある。プロゲーマーもまた、稼ぐ人間はものすごく稼いでいる。仮に職業として認められる要素に収入が必要ならば彼らはクリアしている。だが、それだけでは解決しないだろう。「歴史」もあるだろう。日本人は特にそうなのではないだろうか?いや、日本以外にもさっき述べたように世界各国でもまだ評価は怪しい。それはいかにその世界が我々一般の人間に馴染んでいるか、馴染んでいないかの問題だと思う。苦労しないとならない、これが職業として認められるものだと、理解している人間にとってゲームで稼いでる人間は楽にしか見えない。それがたとえ血のにじむような努力があると言われても、やはりなかなか通じないだろう。人間性もあるだろう。プロゲーマーなんて考える人間は現代社会から漏れ落ちた奴で、引きこもっていた人間の苦肉の策のようなもんだ、というような、こんな偏った考えもまだまだあるだろう。また具体的になにがどういう世界で何をしたらプロゲーマーなの?ライセンスは?というのもあることだろう。僕もそうだったし。

 

正式な機関が必要だろう。わちゃわちゃ少人数で楽しんでいたが、やがて規模は大きくなり、大きくなるにつれ、ルールを決めいった競技の歴史なんて沢山ある。今はインターネットが発達しているが故に少人数でワイワイしている段階でもう既に取り上げられてしまい、とやかく言われていると思う。テンポが早すぎたのかもしれないな、と。

 

僕はストリートファイターが好きだし、それを極めた人間のプレイには憧れる。いわば、ヒーローだ。そんなヒーローが社会の隅に追いやられている。不憫だ。けれども僕はそんなヒーローを心の底からは認めることが、まだ、できない。いつか、彼らも僕もまた、お互いにリスペクトし合える日は来るんだろうか。

 

色々グチャグチャ書いた。何を言いたいのかまとめきれてない。とりあえずは僕がこのドキュメンタリーを見て感じたことは書いたつもりだ。読みにくいけどね。読みにくいって、あまりにも致命的すぎる。死にたい。

 

 

 

 

 

休日の午前

ガソリンスタンドってのは店舗として完全に独立してるものだ、という固定概念が産まれてから今日まであったのだが、今日母親に連れられて来たホームセンターの敷地内にエネゴリ君ですっかりお馴染みのエネオスがあるのはとても違和感だった。違和感、というより単純に危なくないか?という感じなんだけど。

 

なんでホームセンターに来たのかというと、答えはいたってシンプルで昨日の台風で傘立てが飛ばされて見事に凹んでしまったからなのだが。台風と分かっているのだから、中に入れるなりすればいいものの、という文句が出てしまう。まぁこの文句は傘立てが凹んだことよりも朝早くからその買い物に付き合わされるはめになったことへの文句なのだが。

 

勿論、世の主婦は傘立てのためだけに朝から車に息子を乗せてホームセンターに行くなんてことはない。他にも買いたいもの見たいものがあるんだろう。それも分かっていた。

 

ホームセンターに入ると僕は母親に終わったらLINEして、と言い残し自分はプラプラ久しぶりのホームセンターを歩き回ることにした。そんなに広くもないが、狭くもないホームセンター。僕はホームセンターの臭いが嫌いだ。ヒノキなのかなんなのか知らないが、フィトンチッドの臭いが僕を不快にさせる。ただ、ホームセンターのこの独特な臭い、空間は僕の馴染みきってしまったマンネリハウスに何かプラスしてくれそうな物の気配が僕をワクワクさせてくれたりもする。

 

僕は母親にプラプラするとは言ったが、それこそそんなに見るものもなく、ペットコーナーに行くことにした。ペットコーナーに行くと鳥類の臭いが今度は僕を完全不快Dreamerにする。あとフェレットフェレットって懐くの?ていうかもう臭いがやばい。うんざりする。できるだけ彼らのコーナーから離れて猫やら犬やらのゲージを見る。クソ狭いスペースで、寝ることしかできないから寝ていたら子供が叩いて起こす。あぁ、なんだかなぁ、と思うのだが僕はだからといって何かできるわけでもないし…という投げやりな、情けない言い訳を心の中で呟く。

 

僕の家はペットなんてものはいない。だからなんとかなく、犬とか猫を見ると「あ!」ってなるタイプだ。ネットサーフィンをしていると出くわす犬や猫の画像もいちいち反応してしまう。しかし、前回の記念すべき(?)1回目の記事で書いたように僕は腰が重い。猫に自分の物壊されたりしたら…とか、糞とかそのへんにするのかな…とか、そうさせないためにもしつけをしないとならんのだろうが果たして僕にそんな根気はあるのか…そして何より終始誰が世話すんのか…もう絶対飼わない方が良い人間性だな、と自己完結してペットコーナーを離れる。

 

【暮らし応援コーナー】と書かれたとこへ足を運ぶ。暮らし応援コーナーって、なんだかニートに向けた言葉みたいだなと思う。そこに行くとベッドやら机やらなんやらがあって、なるほど暮らしに関する物だ。僕はそのコーナーの商品を見ながらこれが部屋にあればいいなぁ、とぼんやり想像しながら見て回る。ウィンドウショッピングの醍醐味をしっかりと味わう、せっかくの創立記念日を台無しにしている大学生。我ながらよく分からない。

 

すると横にいたまだ小学校低学年くらいの子が「お母さん、僕の部屋にもこんなミラーボールつけてよ」と言っていた。上を見ると確かにミラーボールがあった。なんかどっかのカラオケのPVで見たことがあるようなないような。「あれは売り物じゃないよ」とお母さんが言う。「どこで買えるん?」「さぁ、ひゃっきんちゃうの?」僕はその会話を聞いて関西弁の面白さを痛感する。ひゃっきん、というイントネーションは何回聞いても面白い。なんか、本当に脆そうな気がする。ひゃっきん。

 

なんやかんや見ていると母親からLINEが来る。レジに並ぶ母親を見ると何やらいろんなものを買っていた。僕は案の定それを持たされて駐車場へ向かう。重い。なんなんだこれ。

 

車につめると、ふとさっきのエネオスが目に入る。もしあれが何かの拍子で引火したらここら一帯はひとたまりもないのかなと思う。怖いなぁ、となんとも小学生じみた感想を思いながら助手席に乗る。

 

台風の後の晴れ間。風は冷たかった。